私たちの髪一本一本が、数年という長いスパンで成長と脱毛を繰り返す「ヘアサイクル」。この精巧な生命活動は、一体どのようなメカニズムによって制御されているのでしょうか。その鍵を握っているのは、毛根の奥深くに存在する「毛乳頭細胞」と、それを取り囲む「毛母細胞」です。毛乳頭細胞は、いわばヘアサイクルの「司令塔」です。毛細血管から栄養を受け取り、その情報を基に、周囲の毛母細胞に対して「分裂しろ（成長期）」「分裂を止めろ（退行期）」といった指令を出します。この指令の伝達役を担っているのが、「成長因子（グロースファクター）」と呼ばれる様々な種類のタンパク質です。例えば、FGF-7（ケラチノサイト成長因子）は毛母細胞の増殖を促し、成長期を維持するシグナルとして働きます。一方、TGF-βといった成長因子は、逆に細胞分裂を抑制し、髪を退行期へと導くシグナルとなります。この「成長促進シグナル」と「成長抑制シグナル」の絶妙なバランスによって、ヘアサイクルは正常にコントロールされているのです。しかし、このバランスは、様々な要因によって崩れることがあります。その代表例が、AGA（男性型脱毛症）におけるホルモンの影響です。男性ホルモンであるテストステロンが、5αリダクターゼという酵素によってDHT（ジヒドロテストステロン）に変換されると、このDHTが毛乳頭細胞の受容体と結合します。すると、毛乳頭細胞は、成長を抑制するシグナルであるTGF-βなどを過剰に放出し始めます。その結果、成長期が強制的に短縮され、髪は十分に育たないまま抜け落ちてしまうのです。また、ストレスや栄養不足も、このシグナル伝達に影響を及ぼします。ストレスは血行を悪化させ、毛乳頭細胞への栄養供給を滞らせます。栄養不足は、そもそも毛母細胞が分裂するためのエネルギーや材料が不足している状態です。これらはいずれも、成長促進シグナルの働きを弱め、ヘアサイクルを乱す原因となります。私たちの目に見えないミクロの世界で繰り広げられる、この複雑で繊細なシグナルのやり取りこそが、髪の一生を決定づけているのです。